QA问答:“如果无法知晓未来,那么决定论就是无意义的。如果能够知晓未来,那么我们就能采取不同的行动,那么决定论果然还是无意义的。”对于这种观点该如何反驳呢?
2023-04-02 木莲 8110
正文翻译




原创翻译:龙腾网 http://www.ltaaa.cn 转载请注明出处


评论翻译
木蓮若葉

人工知能 教育学&言語学 修士号,雑学家,理屈っぽい中国人水
この主張は未来というものを正確に理解していません。
想像してみてください。あなたの前に、電灯とボタンがあります。ボタンを押すと、電灯が光る、簡単な作りですよね。しかし、このボタンと電灯はちょっと違います。この電灯はあなたがボタンを押す0.1秒前から光ります。つまり、電灯が光る時間は、ボタンを押すより早いです。
このルールは絶対です。あなたがルールを破ろうとしても破れません。ボタンを押す気がないなら、電灯が永遠に光りません。しかし、ボタンを押すなら、電灯は絶対にそれより早く光ります。
ボタンを押すと決めて、電灯が光ってから手を引くというは、ルールを破れるでは?その場合、電灯は永遠に光りません。しかし、あなたが本気でボタンを押したら、その0.1秒前に、電灯は必ず光ります。
これが未来と自由意志です。自由意志は自由でもなんでもありません。人が世界を理解するために想像したものにすぎません。未来を知っても、知らなくても、人は未来に抗えません。人がどう動いても、未来は電灯のように人の行動を予測し、先に変わった未来を提示します。

这个观点没有正确理解未来是怎样的存在。
想象一下,你的面前有一个电灯和按钮。按下按钮,电灯就会发光,这是很简单的构造吧。不过,这个按钮和电灯有些不同。这个电灯会在你按下按钮前的0.1秒开始发光。也就是说,电灯发光的时间,比按下按钮的事件还要早。
这个规则是绝对的。你哪怕是想要打破这个规则也是无法做到的。如果你不想按按钮,那么电灯就永远不会发光。可是一旦按下按钮,那么电灯绝对会比你的动作更先发光。
如果你认为决定要按按钮,然后等电灯开始发光后,在手还没有接触前再把手挪开,不就可以打破规则了?那你就错了。那种情况,电灯就永远不会发光。可一旦你真的去按按钮时,在那之前的0.1秒,电灯一定就会发光。
这就是未来和自由意志。自由意志并不自由。只不过是人类用来理解世界所想象出来的产物。不管是否知晓未来,人都是无法和未来对抗的。不管人如何行动,未来都会像电灯一样预测
人的行为,然后展示改变后的未来。
吉川 卓志

私もこの質問に興味を持って、色々な方の回答を拝見しています。これは面白いご意見ですね。
回答にあるモデルは、見たところ因果関係が時間の流れに沿わないように思えますが、その辺りはいかがでしょう?
あるいはこのモデルは、リベットの実験に基づく人の脳内における自由意志の感覚についてのお話でしょうか?

我对这个问题很有兴趣,也看了其他人的回答。我觉得这个内容是非常有趣的。
按照回答中的模型,感觉因果关系有点不符合时间的方向,这点又是如何考虑的呢?
或者说这个模型是关于利贝特实验中关于人脑自由意志的内容呢?
木蓮若葉

リベットの実験から、ヒントを得ています。自由意志にしろ、決定論にしろ、通じる部分があると思います。
簡単な数式を通して因果関係をまとめると思います。現在の状態を「x」として、未来の状態を「y」とします。未来と現在の関係は、「y=ax」です。そして、未来を知る場合、現在に与える影響を「by」とします。新たな未来と現在の関係は、「y=a(x+by)」です。この数式を解くと、「y=a/(1-ab)x」になります。
つまり、未来を見ることができる場合、見た未来は本来の未来「ax」ではなく、新たにできた未来「a/(1-ab)x」です。新たにできた未来は、未来を見ることができることを前提にして成立します。
純粋な数学と物理学の問題なので、人の自由意志を提起しなくても、理解できると思います。ある意味、自由意識そのものは不要な概念です。

确实是从利贝特实验获得了一些提示。不管是自由意志还是决定论,都是有共通的部分的。
我想通过一些简单的数学公式来,来近似解释下因果关系。如果把现在的状态定义为“x”,未来的状态定义为“y”。那么未来和现在的关系就是“y=ax”。然后将知晓未来,给现在的影响定义为“by”。那么新的未来和现在的关系就是“y=a(x+by)”了。然后这个公式的解就是,“y=a/(1-ab)x”。
也就是说,如果能够看到未来,那么看到的未来就不是原本的未来“ax”,而是新产生的未来“a/(1-ab)x”。新产生的未来,正是以能够看到未来为前提而诞生的。
这纯粹是数学和物理学的问题,不用管人的自由意志,也是能够解释的。从某种意义上来讲,人的自由意志是不需要的概念。
吉川 卓志
原创翻译:龙腾网 http://www.ltaaa.cn 转载请注明出处


ありがとうございます。
数学には疎いのですが、以下の想定を数式に当てはめるとどんな状態になりますか?
トルグスイッチの付いたランプが有る。
現在の状態はスイッチが切れており、ランプは点灯していない。
1秒後の状態を正確に予想する。
一秒後にランプが消えていたらスイッチを入れてランプを点ける。逆にその時ランプが点灯していたら、ランプのスイッチは切の状態にしておく。

谢谢你的回答。
我对数学不太熟悉,我想问下如果下面的假设换成数学表达的话,该是何种状态呢?
假定有一个带开关的电灯。
现在的状态是开关关闭,电灯没有亮。
然后可以正确预测1秒后的状态。
如果1秒后电灯熄灭了,那么现在就打开开关让电灯亮起来。反之,如果那么时候电灯亮着,那么就断开开关。
木蓮若葉
原创翻译:龙腾网 http://www.ltaaa.cn 转载请注明出处


それを数学に翻訳すれば、「y=-y」ということなります。この数式には根が存在しません。言い換えれば、予測自体が成立できなくなります。
何らかのマシン(このマシン決して間違った予測を出さない)で未来を予測する場合、予測が出たなら、必ず成立します。私たちがどう行動しても、結果は予測通りになります。その予測自体が私たちの行動を読み取って出したものだからです。
あなたが上げた例のように矛盾が生じた場合、意外は必ず起きます。マシンが故障して予測できなくなるか、あるいは私たちが何らかのミスを犯すかの二択です。

将这个翻译成数学语言的话,就是“y=-y”了。这个算式没有根。也就是说,预测本身就无法成立。
当我们通过某种机器(这个机器绝对不会做出错误的预测)来预测未来时,如果做出了预测,那么预测就一定成立。不管我们如何行动,结果都会和预测一样。这是因为预测本身就是基于我们的行为而做出的。
如果出现像你说的那种出现矛盾的情况,那么就一定会发生意外。要么是机器发生故障无法预测,要么就是我们的操作出现失误带来同样的结果。
吉川 卓志
写真屋 (2009–現在)

この主張は正しく、反論は出来ないと思います。
私は中学生の頃、ご質問の前半部分の議論を都筑卓司の「マックスウェルの悪魔」の中で読みなるほどと深く納得してしまい、以来両立論に対して気持ちはともかく強い反論は持ち得ないまま過ごしてしまっています。
ただ、後半については、未来を知る際はことの一部始終を詳細に知る限りにおいて、そして知った知識に基づいてされた行動が以降の事態を変える事ができる場合において、に限ると思います。
未来の一部を知った人の、その未来を回避するために行動をする事もその未来に織り込み済みという物語はよく見かけます。
書籍、現代哲学のキーコンセプト「自由意志」の中に、モームの戯曲の一部が引用されていました。内容は、市場で死神に出会い脅された召使いが自分の死を回避するため主人に頼んで馬を借り、別の街に逃げて行くというものです。同日、その主人は市場で同じ死神に会い、何で召使いを脅したりしたのだと訪ねた所、いや、今日別の町で会うはずだったその召使いがこの市場にいたんで驚いてしまっただけだ、というお話でした。

我觉得这个观点是正确,无法反驳的。
我中学的时候,曾在都筑卓司的“麦克斯韦之妖”中读到管关于前半部分的探讨,深以为然。从此对于这种兼顾的说法一直都没有很强的反驳的想法。
不过,对于后半就不一样了。如果知晓未来的时候,知道的是全部的事实,然后能够基于知晓的知识进行行动来改变事态的话,那确实如此。
但是对于只知道一部分未来的人来说,哪怕他想要回避某种未来,但这种行为也许也是未来的一部分。这种故事经常能看到。
在现在哲学的概念书籍“自由意志”中就引用了毛姆的戏剧的一部分。内容是在市场里碰到死神而被威胁的仆人,为了回避自己的死,拜托主人借了马逃到别的城市去了。当天,主人在市场里也碰到了死神,然后问题死神为什么要威胁自己的仆人。死神说,他并不想威胁仆人,只是今天本来应该在别的城市碰到这个仆人,没想到竟然在这个市场里碰到了,这让他很惊讶。
原创翻译:龙腾网 http://www.ltaaa.cn 转载请注明出处


上記は運命論として決定論とは区別されますが、個人的には「人は未来の全てを知る事ができない故に決定論的世界であってもその事は人に対しては特に意味をなさない」の内に含めても良いのではないかとも思います。召使いの行動は、未来の詳細の全てを知ることが出来なかったゆえのものですから。
ちなみに、ご質問の無意味と述べる所の意味ですが、これは決定論の否定とも自由意志の否定とも取ることが出来ると思います。この構造は、タイムマシンは、子が親を殺せる事になるから実現不可能もしくは過去改変は織り込み済みで人に自由意志は無い、という議論と似ているという印象を受けます。
しかし、映画「メッセージ」は考えさせられますね。主人公は自分の悲しい未来を知りながら、自分の行動を一切変えないのです。

上面说的是宿命论和决定论还有所不同,不过我觉得人是无法知晓所有的未来的,所以哪怕是决定论的世界,对于人也没有特殊的意义,所以也就无所谓了吧。我觉得那个仆人的行为正是因为无法知晓未来的细节才做出的。
顺便一提,提问中所说的无意义的地方的意义,正可以看成对决定论的否定或者对自由意志的否定。这个构造和祖父悖论感觉有类似的印象。都是无法实现的,或者改变本身就是历史的一部分因而没有自由意志一样的内容。
这让人不禁想起电影“信条”。主人公哪怕知道了自己悲哀的未来,也没有改变自己的行动。

Sugimoto Shigeto
某飲食店のオーナー
例えば明日の13時52分に喫茶店で注文したホットコーヒーを飲むとあなたは知った。
ならアイスコーヒーを頼むことにしよう。そうすれば決定論は無意味となる。
そういうことを仰っているのですよね。
しかし「明日の13時52分に喫茶店で注文したホットコーヒーを飲む」という情報は、
私があなたのために一行にまとめたからあなたの脳に知識として入ったのです。
実際に質問者様の仰る「未来を知る」がどのような形で行われるか分かりませんが、
一行にまとまって「明日の13時52分に喫茶店で注文したホットコーヒーを飲む」というような情報のみがあなたの脳裏に閃くといった形でもたらされるならば、例えばあなたがアイスコーヒーを注文しても店員は間違えてホットコーヒーを持ってくるかもしれません。13時52分をやり過ごしたと思ったら時計が狂っていたかもしれません。あなたが精神に異常をきたしてどうしてもホットコーヒーを飲みたくなり飲んでしまうのかもしれません。
つまり明らかになった情報以外の影の部分(あなたにより観測されない部分)が運命に操作され、抗えない余地が発生します。従って質問文の反論として成立するでしょう。

比如你知道了明天13点52分你会在咖啡馆里喝热咖啡。那么你就准备点冰咖啡。这样的话,决定论就失去意义了。
提问里大概想说的就是这个意思吧。
不过,“明天13点52分你会在咖啡馆里喝热咖啡”这句话是我事先为你而总结的好的信息,然后作为知识才进入了你的大脑。
我们并不知道提问者所说的知晓未来是以何种形式呈现的,但是假定是以“明天13点52分你会在咖啡馆里喝热咖啡”这句话从脑中闪现的形式。那么就有可能,哪怕你点了冰咖啡,但店员搞错了端来了热咖啡。或者是钟表突然坏了,时间并非是13点52分。或者是你的精神突然不正常了,无论如何都想要喝热咖啡。
也就是说,除了表面上的信息之外还有隐藏的部分会影响你的命运,让你出现无法改变的情况。这样,就能够作为对提问的反驳了吧。

Shigeyoshi Ueda
異なる、の意味が無意味です。 何故なら異なることがないからです。
パラレルワールドを想定すると少し違ってきますが、それが選択されることによって未来が選ばれたのではなくて、選んだ結果が未来だったと想起されるだけで3次元では現在しか存在しませんから あのときの未来が今 という認識以上の価値はありません。そして その回顧の段階にある 記憶は現実とは関係のない#記憶#という名前の作り話にすぎません。
そして、未来 も現在を生きてる我々が夢想する非現実です。 未来が可視であるなら、未来が具象的なら、それは4次元です。シュールレアリズムの世界です。

不同行为的意义也等于无意义。要说为什么,因为人无法选择不同的行为。
如果是平行宇宙那可能有所不同,这也并非是因为选择不同,而出现了不同的未来,而是所处的未来回想起这个未来是选择的结果罢了。从三维的角度来看,现在并不存在,那时候的未来就是现在。除此以外,没有任何意义。然后,在回顾的阶段,记忆和现实没有任何关系。只是名为记忆的创作罢了。
然后,未来也是生存在现在的我们所想象的非现实。如果未来是可视的、具象的,那就是四维,也就是超现实主义的世界了。

很赞 3
收藏